| |
本居宣長『宇比山踏』
文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬ ことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて過すぞよき、
殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、
たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、
こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也
|
|
「よく聞えたる所」は,「要所」に他ならない。
「心得がたきところをそのまゝにて過す」は,「要所」に関してはうまくいかない。
「深く味ふべき」となるわけである。
「深く味ふべき」には,「字面ではないぜ」が含まれている。
例えば,数学の用語は定義されているが,定義は,これの意図・本意が何であるかをわかってはじめて,「わかった」となるのである。
|